キジをしめた話
鹿児島出身のラグビー部の先輩が、正月にみんなで食べるからと、裏山でイノシシをしめたという話を聞いたことがある。
都会では考えられない話だが、食べるために動物をしめてくるという行動は、生きるという事を考えさせられた。
さて私は、母との同居の準備で昨年末から先週まで、連日連夜、実家で妻と片づけをしていた。
物置で見つけたヤモリの卵、次々と見つかる恥ずかしい日記帳、過去にもらったたくさんのラブレターは迷わず処分した。
さてキジの話。
鳴き声は「ケンケーン」と鳴くらしい。
物ごころがついていた頃からいた、キジのはく製を私はしめた。
しめたとは言わないか。
太い木に、30cmの長さのものが両足でとまっている物だ。
重さはほとんどが、木の重さだ。
しかしリアルだ。
もの心ついた時から見ているキジちゃんの横顔を見て、こりゃ簡単に捨ててはいけないと思った。
庭の隅において、すずめちゃんやハトちゃんの仲間になれないものかと、そっとおいてみた。
翌日、血相を変えて私の姉が強制撤去し、ガレージに移動した。
かなり気持ち悪かったらしい。
燃えるゴミの日は明日だ。
決断した。
しめよう。
もちろん生きていないので「しめる」という言葉はおかしいのは分かっている。
まず軍手で両足を持ち、背筋を使って木からはがそうとした。
とれない。
足の中には鉄線が入っていて、木に直結しているのだ。
「いぇーっ!!」っと池崎の真似をしながら思い切り引っ張ると、足首だけが取れた。
ひー!恐い。
キジちゃんを前後に揺らして、鉄の線を切る作戦に変更した。
その時、最悪な事に、デイサービスから帰った母(前号参照)が、見に来てしまった。
「あれ?それどうするの?」
「あ、いや。その、傷つけちゃいけないと思ってどかしただけ。」
ふと見ると、キジちゃんは50年近く見てきたポーズをとっていない。
深くお辞儀をしたままだ。
忙しいふりをして、背中でキジちゃんを隠すと、母はスッと家に入っていった。
私の体調を気遣いながら、、、。(母ちゃん、すまん)
「ごめんねありがとうね」と声をかけながら、上下にお辞儀を繰り返さすと、やっと鉄線が外れた。
尻尾は簡単に抜けた。(簡単に抜けるのも怖い~)
つかまっていた木をノコで半分に切る。
新聞紙で丁寧に梱包し、透明なビニール袋に入れた。
さよならキジちゃん。
最近眠れないのは君のせいかも!